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2015年5月18日月曜日

特別講演「現代からみた江戸の医学」順天堂大学名誉教授・特任教授、日本医史学会前理事長酒井シヅ先生 2015年5月16日

特別講演「現代からみた江戸の医学」
順天堂大学名誉教授・特任教授、日本医史学会前理事長酒井シヅ先生

 「医療」と「医学」の違いは何かといえば、「医療」は病を治すための人類のあらゆる分野における知識や経験を集大成したものである一方、「医学」は科学的な研究に基づいた体系的な学問であるといえるのではないだろうか。現代の日本の医学は西洋医学の流れの中にあることは言うまでもない。
 西洋医学の始まりは紀元前の古代ギリシャ医学にあり、病気に伴う現象を注意深く観察し、理論をたて、そこから導き出された治療法を確立した素晴らしいものであった。紀元前3~2世紀アレクサンダー大王の東方遠征に伴い古代ギリシャ医学は大きな発展をする。いつの時代でも大きな戦争を契機として医学が進むのは皮肉なことである。古代ローマ帝国の時代にガレノスがあらわれ、古代ギリシャ医学を理論的に集大成したガレノス医学を確立した。これは理論的に整備されたものであったがゆえに、後世の学者は現象としての事実を見ず、ガレノス理論との整合性ばかり考えるようになったことは残念なことである。
 西暦395年古代ローマ帝国は分裂し、東ローマ帝国では古代ギリシャ医学の流れを汲むアラビア医学が、西ローマ帝国ではガレノス医学の流れを汲む僧院医学が、西ローマ帝国の崩壊後も主流となっていった。中世の修道院には付属病院が設けられ修道尼が看護にあたっていた。僧院医学においては新しい研究や積極的な治療が行われることはなく、看護・療養が主体であった。西暦1453年オスマン帝国により東ローマ帝国が滅亡し、逃れた人々により古代ギリシャ医学の流れを汲むアラビア医学がヨーロッパにもたらされた。ここにルネサンスが始まり、古代ギリシャ医学の再興をみることとなった。
 ルネサンス期にはヨーロッパ各地に大学が設立され、人体への本格的な探求が始まった。中世には行われることのなかった人体解剖も盛んに行われるようになり、万能の天才レオナルドダヴィンチによる精密な人体解剖図は驚くべきものである。そして西暦1543年にはヴェザリウスによる本格的解剖書「人体構造論」が著され、西暦1630年にはこの書が日本にも伝来し、それを目にした一部の日本人を驚嘆させるが、日本の西洋医学への開眼はまだ遠い先のことであった。一方ヨーロッパではパレによる外科治療の進歩もあり、17世紀には医学は神学の領域を離れ、科学的研究の対象となっていた。
 それまでのヨーロッパでは血液循環の概念はなかったが、ハーヴェーが科学的研究により西暦1628年「血液循環説」を発表し、ガレノスの考えを否定した。時を同じくして、江戸幕府が将軍家綱の治療のため西暦1674年にオランダより招いたテン・ライネが、日本にはすでに「気の循環」といったハーヴェーの唱えた循環説に通じる考え方があることを知って驚いていることは興味深い。17世紀の哲学者デカルトは「人間は精神と身体から構成されている」という心身二元論を唱え、人間に宿る精神が精巧な自動機械としての身体を操縦しているとの考え方を示した。これに影響を受けた医学者は精密機械としての人体のメカニズムの探求をさらに進めることとなった。レーウェンフックの発明した顕微鏡によりミクロの世界が開かれ、微生物の存在が明らかとなった。またマルピギーの顕微鏡を用いた研究により西暦1661年に肺の毛細血管が発見され、ハーヴェーの血液循環説はついに完成することとなった。
 18世紀には、モルガーニが様々な疾患で亡くなった多くの人の病理解剖を続け、生前の病状と解剖の所見を詳しく比較検討し、西暦1761年に「解剖によって明らかにされた病気の座と原因」を著し、近代病理学思想を確立した。19世紀になるとラエンネックが西暦1816年に聴診器を発明し、診断方法にも進歩が見られた。西暦1867年には日本で明治維新がおこり、西洋医学の急速な導入が行われることとなった。
 江戸時代と現代の医学のもっとも大きな違いは、細菌感染症に対する化学療法ではないだろうか。パスツールとコッホにより近代細菌学の基礎がつくられ、最先端の医学研究の分野として大いに発展した。北里柴三郎や野口英世らの業績も注目すべきものがある。20世紀になるとエールリッヒによる化学療法の開発や、彼の門下の秦佐八郎や志賀潔の活躍のあと、西暦1928年にフレミングによって世界初の抗生物質ペニシリンが発明され、第2次世界大戦中に多くの人が感染症から救われることとなった。
 江戸時代の医学の特色ともいえる「養生の医学」については、残念ながら時間が足りずお話することができなかった。

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