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2010年8月31日火曜日

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「生命とは何か」という問いに対して、古来より様々な考えが示されてきた。宗教的・哲学的な考察の例は枚挙にいとまがないが、筆者は分子生物学者であり、現代科学のcutting edgeの先に浮かび上がる新しい生命観を伝えようとしている。近代科学において生物とは「自己複製を行って増殖しうる」ものとして定義されてきたが、核酸の断片にすぎないウイルスという病原体の発見により、生物の定義についての考え方の揺らぎが生じてきた。ウイルスは結晶化することも可能なきわめて物質的な特性をもつが、細胞に「寄生」(というより遺伝情報の注入)という方法で「自己複製」し「増殖」することも可能だ。筆者の考えではウイルスを生物とみることはできないという。そこには筆者が生命の特徴ととらえる「動的平衡」がみられないからである。本書の目的は、この「動的平衡」がどういうものであるかを語ることにある。

2010年8月26日木曜日

市民公開講座C型肝炎治療の最前線

2010年9月5日(日曜日)みなとみらい はまぎんホールヴィアマーレにて
13:30 − 16:30
市民公開講座 C型肝炎治療の最前線 開催されます
パンフレットは http://kanagawamed.org/archive/cshiminkoukai20100905.pdf
講演内容は http://kanagawamed.org/archive/hcpublic20100905.pdf

2010年8月25日水曜日

ミドルメディアの時代

 新聞やテレビに代表されるマスメディアの存在基盤が大きく揺らいでいる。米国では新聞社の倒産が相次いでいるし、日本でも新聞の発行部数の低下と広告料収入の減少により経営の存続が難しい状況だ。世界同時不況の影響だけでなく、背景には大きな構造的な変化が起こっている。それはミドルメディアの拡大である。
 マスメディアとは数百万から数千万人に発信される情報で、世論の形成や趣味・芸能における人々の共通の話題づくりにかかわってきた。一方、同人誌や自費出版、周囲の友人しか読まない身辺雑記のブログやツイッターなど少人数で共有される情報をパーソナルメディアという。以前はこのふたつが主たるメディアであったが、近年特定の業界・分野・趣味の数千人から数十万人に発信されるミドルメディアの比重が極めて大きくなってきた。これは社会が複雑化するにつれ、細分化専門化された知識・情報への要求が強くなったことと同時に、インターネットに代表されるIT革命のおかげで、世界的な広さで迅速かつ極めて低コストで情報の発信と受容が可能になってきたことも大きい。日本臨床内科医会の会員数も1万6千人余なので、この日臨内ニュースもまさにミドルメディアに属すると言える。
 マスメディアの衰退の原因はその業界内部に由来するものも大きい。かつての一億総中流時代は1990年代に終わり、格差社会は進み、都会と地方の文化も大きな隔たりが出来てしまった。ひとりひとりの趣味や関心も多彩かつ拡散し、かつての最大公約数的な読者はもうどこにもいないにもかかわらず、多様化したニーズを反映することに失敗した結果、マスメディアにお金を払ってまで読みたい記事が無く、一方ミドルメディア上では読みたい情報に多くは無料でアクセスできる状況になってしまった。
 また、マスメディアに従事している新聞記者をはじめとするジャーナリストはもちろんその道のプロなので取材力や文章力は高く、伝えるべき内容の分析や評価をどこかの組織や企業のインサイダーとしてではなく、第三者的な公平な立場で行える点は非ジャーナリストの手になるメディアに対して大きな利点であるはずだが、今の新聞記者は残念ながら良質な記事作成に必要とされる専門性に乏しいように思われる。決して記者たちが不勉強というわけではないが、組織の中における人事異動の間隔が短く専門性を高めるための時間的余裕がないのだという。そのため医療分野においても見当違いな記事の掲載という不幸な事例が散見される。
 今後のマスメディアの生き残りのためには、「マス」であることを棄てて、貴重な人材である記者の専門性をじっくりと高めながら、良質な記事を提供するミドルメディアとしての方向性を模索するべきときが来ているように思う。
(日臨内ニュース「万華鏡」2010年10月)

ミドルメディアの時代

 新聞やテレビに代表されるマスメディアの存在基盤が大きく揺らいでいる。米国では新聞社の倒産が相次いでいるし、日本でも新聞の発行部数の低下と広告料収入の減少により経営の存続が難しい状況だ。世界同時不況の影響だけでなく、背景には大きな構造的な変化が起こっている。それはミドルメディアの拡大である。
 マスメディアとは数百万から数千万人に発信される情報で、世論の形成や趣味・芸能における人々の共通の話題づくりにかかわってきた。一方、同人誌や自費出版、周囲の友人しか読まない身辺雑記のブログやツイッターなど少人数で共有される情報をパーソナルメディアという。以前はこのふたつが主たるメディアであったが、近年特定の業界・分野・趣味の数千人から数十万人に発信されるミドルメディアの比重が極めて大きくなってきた。これは社会が複雑化するにつれ、細分化専門化された知識・情報への要求が強くなったことと同時に、インターネットに代表されるIT革命のおかげで、世界的な広さで迅速かつ極めて低コストで情報の発信と受容が可能になってきたことも大きい。日本臨床内科医会の会員数も1万6千人余なので、この日臨内ニュースもまさにミドルメディアに属すると言える。
 マスメディアの衰退の原因はその業界内部に由来するものも大きい。かつての一億総中流時代は1990年代に終わり、格差社会は進み、都会と地方の文化も大きな隔たりが出来てしまった。ひとりひとりの趣味や関心も多彩かつ拡散し、かつての最大公約数的な読者はもうどこにもいないにもかかわらず、多様化したニーズを反映することに失敗した結果、マスメディアにお金を払ってまで読みたい記事が無く、一方ミドルメディア上では読みたい情報に多くは無料でアクセスできる状況になってしまった。また、マスメディアに従事している新聞記者をはじめとするジャーナリストはもちろんその道のプロなので取材力や文章力は高く、伝えるべき内容の分析や評価をどこかの組織や企業のインサイダーとしてではなく、第三者的な公平な立場で行える点は非ジャーナリストの手になるメディアに対して大きな利点であるはずだが、今の新聞記者は残念ながら良質な記事作成に必要とされる専門性に乏しいように思われる。決して記者たちが不勉強というわけではないが、組織の中における人事異動の間隔が短く専門性を高めるための時間的余裕がないのだという。そのため医療分野にお��い討盡��磴い糞��侶悩椶箸いι垤�併�磴�狂�気譴襦���ぢ 今後のマスメディアの生き残りのためには、「マス」であることを棄てて、貴重な人材である記者の専門性をじっくりと高めながら、良質な記事を提供するミドルメディアとしての方向性を模索するべきときが来ているように思う。

2010年8月24日火曜日

1

 2011年に新聞とテレビが消滅するという。
 「消滅する」というのは過激な発言だが、それに匹敵するような大きな転換点が訪れることは間違いない。常に日本の状況の3年先をいっているアメリカ合衆国においては、新聞社の倒産は止めることができない勢いで進んでいる。テレビはもっと前に多チャンネル化に伴う構造変化が起きてしまっている。新聞とテレビといえば、マスメディアを代表する社会的に重要な存在であったはずだが、どうしてこのような事態になってしまったのだろうか。
 新聞についていえば、その大きな原因は発行部数の減少と広告収入の減少が大きな原因である。テレビも同じようなもので視聴率の低迷と広告の減少が大きい。世界同時不況の影響は無視できないだろうが、それだけでは説明のできない構造的なシフトが起こっているのである。
 では、新聞とテレビを見ない人々は代わりに何をみて、そして広告は一体どこへ流れていったのだろうか。答えはすでにお気づきのように、インターネット上の多彩なウェブサイトである。インターネットの利用により、今までの媒体よりも迅速に大量の情報に無料で接することが可能となり、企業の広告もインターネット上の広告に多くはシフトしている。この流れの中で急成長しているのがグーグルに代表されるインターネットプラットフォーマーである。

2010年8月23日月曜日

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 2011年に新聞とテレビが消滅するという。
 「消滅する」というのは過激な発言だが、それに匹敵するような大きな転換点が訪れることは間違いない。常に日本の状況の3年先をいっているアメリカ合衆国においては、新聞社の倒産は止めることができない勢いで進んでいる。テレビはもっと前に多チャンネル化に伴う構造変化が起きてしまっている。新聞とテレビといえば、マスメディアを代表する社会的に重要な存在であったはずだが、どうしてこのような事態になってしまったのだろうか。
 新聞についていえば、その大きな原因は発行部数の減少と広告収入の減少が大きな原因である。テレビも同じようなもので視聴率の低迷と広告の減少が大きい。では、新聞とテレビを見ない人々は代わりに何をみて、そして広告は一体どこへ流れていったのだろうか。答えはすでにお気づきのように、インターネット上の多彩なウェブサイトである。インターネットの利用により、今までの媒体よりも迅速に大量の情報に無料で接することが可能となり、企業の広告もインターネット上の広告に多くはシフトしている。この流れの中で急成長しているのがグーグルに代表されるインターネットプラットフォーマーである。

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2011年に新聞とテレビが消滅するという。
「消滅する」というのは過激な発言だが、それに匹敵するような大きな転換点が訪れることは間違いない。常に日本の状況の3年先をいっているアメリカ合衆国においては、新聞社の倒産は止めることができない勢いで進んでいる。テレビはもっと前に多チャンネル化に伴う構造変化が起きてしまっている。新聞とテレビといえば、マスメディアを代表する社会的に重要な存在であったはずだが、どうしてこのような事態になっているのであろうか。

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