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2010年9月1日水曜日

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 「生命とは何か」という問いに対して、古来より様々な考えが示されてきた。宗教的・哲学的な考察の例は枚挙にいとまがないが、筆者は分子生物学者であり、現代科学の到達点から見えてきた新しい生命観を伝えようとしている。
 近代科学において生物とは「自己複製を行って増殖しうる」ものとして定義されてきたが、核酸の断片にすぎないウイルスという病原体の発見により、生物の定義についての考え方の揺らぎが生じてきた。ウイルスは結晶化することも可能なきわめて物質的な特性をもつが、細胞に「寄生」(というより遺伝情報の注入)という方法で「自己複製」し「増殖」することも可能だ。はたしてウイルスを生物とみてよいのだろうか?筆者の考えではウイルスを生物とみることはできないという。そこには筆者が生命の特徴ととらえる「動的平衡」がみられないからである。本書の目的は、この「動的平衡」がどういうものであるかを語ることにある。キーワードは「平方根の法則」と「熱力学第二法則」である。
 われわれ人間はまぎれもなく生物であるが、これを究極的に分解すれば原子に還元される。そして誰も原子を生物であるとは考えない。核酸も単なる分子で、核酸の配列であるDNAも遺伝情報の記録に過ぎず、生物と考えられないことは先にウイルスの例で示されたとおりである。では細胞はどうだろうか?単細胞生物は地球上に大量に存在し、細胞は間違いなく生物といえる。だとすれば生物と無生物を分けるものはDNAより大きく細胞内の主要構成物である、高分子の蛋白質あるいは蛋白質によって構成される細胞内器官にあるのではないだろうか。
 「平方根の法則」とは、原子の集団の平均的な運動から外れた方向への運動をする原子は、統計的に全体数の平方根の数に相当するというものである。したがって構成する原子の数が少なければ、その原子の集団はランダムで不規則な動きとなり、構成する原子の数が大きくなるにつれ、その集団は整然とした規則的な動きとなるのである。生命現象の重要な部品である蛋白質が、正確な生化学反応を担うためには、多量の原子から構成される高分子でなければならない理由が、実に単純な数学的規則から導かれる。
 「熱力学第二法則」とは、すべての原子やエネルギーは常に乱雑さが増大する方向へ進むというものである。乱雑さが極限に達し一様な状態になると、エントロピーが極大になったと表現する。生命現象はこの法則に逆行して、乱雑さが減少する方向へ、すなわち自らの内部のエントロピーが減少する方向へ常に進んでいる。

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