ページ

2010年9月2日木曜日

「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一 講談社現代新書

「生命とは何か」という問いに対して、古来より様々な考えが示されてきた。宗教的・哲学的な考察の例は枚挙にいとまがないが、筆者は分子生物学者であり、現代科学の到達点から見えてきた新しい生命観を伝えようとしている。
 近代科学において生物とは「自己複製を行って増殖しうる」ものとして定義されてきたが、核酸の断片にすぎないウイルスという病原体の発見により、生物の定義の揺らぎが生じてきた。ウイルスは結晶化することも可能なきわめて物質的な特性をもつが、細胞に「寄生」(というより遺伝情報の注入)という方法で「自己複製」し「増殖」することも可能だ。はたしてウイルスを生物とみてよいのだろうか?筆者の考えではウイルスを生物とみることはできないという。そこには筆者が生命の特徴ととらえる「動的平衡」がみられないからである。本書の目的は、この「動的平衡」について語ることにある。キーワードは「平方根の法則」と「熱力学第二法則」である。

 われわれ人間はまぎれもなく生物であるが、これを究極的に分解すれば原子に還元される。そして誰も原子を生物であるとは考えない。核酸も単なる分子で、核酸の配列であるDNAも遺伝情報の記録に過ぎず、生物といえないことは先にウイルスの例で示されたとおりである。では細胞はどうだろうか?単細胞生物は地球上に大量に存在し、細胞は間違いなく生物といえる。だとすれば生物と無生物を分けるものは、DNAより大きく細胞内の主要構成物である、高分子の蛋白質あるいは蛋白質によって構成される細胞内器官にあるのではないか。

 「平方根の法則」とは、原子の集団の平均的な運動から外れた運動をする原子は、統計的に全体数の平方根の数に相当するというものである。よって構成する原子の数が少なければ、その原子の集団はランダムで不規則な動きとなり、構成する原子の数が多くなるにつれ、その集団は整然と規則的な動きとなるのである。生命現象の重要な部品である蛋白質が、正確な生化学反応を担うために、多量の原子から構成される高分子でなければならない理由が、単純な数学的規則から導かれる。

 「熱力学第二法則」とは、すべての原子やエネルギーは常に乱雑さが増大する方向へ進むというものである。乱雑さが極限に達し一様な状態になると、エントロピーが極大になったと表現する。生物にとって体内のエントロピーが最大化することは個体の「死」を意味する。よって生命現象はこの法則に逆行して、乱雑さが減少する方向へ、すなわち自らの内部のエントロピーが減少する方向へ常に進んでいる。

 生物は蛋白質というエラーを起こしにくい精密部品を用意するだけでは満足せず、絶えず増大するエントロピーを積極的に減少させる仕組みを備えていることが、重窒素でラベルした食物を与えたマウスでの実験によって示された。窒素は全ての蛋白質の成分だが、ラベルされた食物を摂取後、短時間でマウスの全身の蛋白質に重窒素の信号が出現したのである。

 このことは生物のあらゆる蛋白質は、古くなったり傷ついたりしたものだけでなく、新しいものも含めて絶えず作り直されて交換されていることを意味する。あたかも川の形は変わらないように見えても、川の水は流れ、瞬間瞬間に新しいものに置き変わっているようなものである。これによって川の水は濁らず、生物は体内のエントロピーの増大を積極的に排除しているのだ。

 新しい生物の定義を以上のような「動的平衡」に求めようとしている筆者であるが、本書に野口英世からノーベル賞のワトソン・クリックらも含む現代生物学の発明発見史を織り込むと同時に、彼らの人間的なエピソードや秘話、研究のダークサイドの暴露も加え読みあきさせない。筆者が研究生活のあいだ過ごしたニューヨークとボストンの光景の描写も美しく、読後に深く静かな印象を残している。
(神内医ニュース「この一冊」2010年10月)
 

0 件のコメント: