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2016年1月26日火曜日

神奈川県医師会 会史第4巻 神奈川県内科医学会 宮川政昭

はじめに
 神奈川県内科医学会が栗原操、北条龍彦両氏を中心にして県内科医学会の会則を立案し、第1回創立総会を開催したのは昭和42年(1967年)2月19日であった。昭和48年栗原操氏が初代会長に就任した。当時の常任幹事会は会長をはじめ10名前後で旧県医師会館の近くのホテルの一室で行われ、会終了後は胸襟を聞いての二次会も行われたと伝わっている。従来からの集談会等の事業に加え、県下四大学における臨床医学研修講座、四大学教授との懇談会を加え、その規模を拡大していった。
 平成元年の総会において松田文太郎氏が会長に就任した。松田会長は全会員間のコミュニケーションを基本として医学の研究・教育と研修を積極的に推進し、全人的医療を考慮しつつ、患者に対する説明と同意による理解の普及に努力するとともに、病診連携の一層の強化を目指すこともモットーにした。
 日本臨床内科医会との連携により、平成3年日本臨床内科医学会秋季学術総会を主催した。さらに平成8年日本臨床内科医会総会を横浜国際会議場にて開催した。
 平成11年の定時総会において中山脩郎氏が会長に就任した。中山会長はこれまでの基本方針は堅持しつつ、各種講演会、セミナー開催への積極的な参画等、事業活動の拡大を目指した。また糖尿病対策委員会、肝炎対策委員会、認知症対策委員会、神奈川禁煙・分煙推進委員会、高血圧神奈川スタディ委員会、ジェネリック問題対策委員会を設立し活動を活発化した。認知症対策委員会は、「痴呆症」と言われる時代からその重要性に着目し、多くの実地臨床医に力を与えた。また禁煙・分煙活動に関しては、各都道府県に先駆けて着手し、禁煙条例策定に関しても大きな影響を与えた。また任期中、平成15年日本臨床内科医学会をパシィフィコ横浜にて開催した。
 平成21年の総会において、中佳一氏が会長に就任した。中会長は、新らたな時代に即応した会則を目指し、会の根幹を揺るぎないものとした。また、学術部会としての糖尿病対策委員会、肝炎対策委員会、認知症対策委員会、神奈川高血圧・腎疾患対策委員会、呼吸器疾患対策委員会と併せ、社会公益部会として神奈川禁煙・分煙推進委員会、ジェネリック医薬品評価検討委員会、在宅医療委員会、シニア委員会、心臓血管病対策委員会の設立整備に尽くされた。また任期中、平成26年日本臨床内科医会総会を開催した。
 平成27年の総会において、宮川政昭氏が会長に就任し現在に至っている。本医学会の基本骨格である総務企画部会、財務部会、情報広報部会、保険制度部会の他に、学術部会として糖尿病対策委員会、肝炎対策委員会、認知症対策委員会、神奈川高血圧・腎疾患対策委員会、呼吸器疾患対策委員会、神奈川禁煙・分煙推進委員会、医薬品評価検討委員会、在宅医療委員会、健康長寿社会を目指す委員会、心臓血管病対策委員会、メディカルコミュニケーション委員会が活動している。各学術部会は、日本のさまざまな学会への発表や原著論文の投稿のみならず、欧米の学会にも発表や投稿を行い、多くの専門領域において学術団体として全国に名を轟かしていることは称賛に値することと自負している。平成30年には日本臨床内科医学会をパシィフィコ横浜にて開催する予定である。
 設立以来、政治体系や社会機構の変化とともにマルチメディアの進歩による情報化の波、また医学教育も含めその専門志向等々めまぐるしく変わる社会に対応してきた。また医学進歩の中での診療技術や治療薬等変遷の中で本医学会もその存在意義を失わないよう更なる向上を目指してきた。その歴史の中の本医学会の活動状況、事業の変遷についてその概略を述べた。
 本医学会は神奈川医学会最大の分科会としての存在意義を認識して、その期待に沿うべく各種の事業活動を行ってきた。さまざまな時代の変化に対処しながら、会長の下、副会長並びに常任幹事の並々ならぬ努力の中で従来の事業計画を踏襲しつつ更に事業の拡大を図った歴史であると考える。
 大上段に振りかざした表現になるが、神奈川県内科医学会の第一の役割は、あらゆる権力から自立して、『正確で公平公正な情報』、つまり真実を伝えることに努力し続けることであろう。『健全な実地医療』は、医学会の会員が等しく正しい情報、『真実』を共有することが土台になければ、決して成立しないからある。
 第二の役割は、『豊かで良質な講演会を幅広く提供』することである。『良質』と並んで『豊かな』と書かれていることの意味は、豪華・贅沢な、という意味ではなく、『多様性に富んだ』という意味だと考える。
 患者もそうであるが医師自身も独自の価値観を持った多様な人々によって形づくられる実地医療の中に生きていることや、臨床試験も含む学術そのものにも多様な価値観が存在することを示すこともまた、神奈川県内科医学会の大切な使命なのかもしれない。

あとがき
 紙数の関係から本医学会の活動のごく一部しか紹介できないのはまことに残念である。
 平成29年には神奈川県内科医学会創立50周年を迎えるので、50年の歩みの詳細な記録を発表する予定である。当医学会のさまざまな活動の詳細については50年史を参照していただきたい。
 最近さまざまな制約が存在し、研究活動が難しい状況になってきた。楽しい知的興奮を味わうことが困難な時代になったからこそ、さまざまな施策を巡らせる試みも愉快なことかもしれない。企画を遂行しなければならない人の中には、「前例がない」ことに対してリスクを恐れて動きを止める人が多く存在する。「前例がない」といって話が進まなければ、わざわざ失敗しなくても良いし、何より仕事が増えることもない。しかしながら研究者は、「前例がないこと」を喜ぶ。「画期的な発見」が分かることに嬉々とするものである。世の中になかったものの、新たな第一歩に立ち会えたことが何よりも幸せと感じるからである。これが仕事というものであろう。誰かがやれるものを自分でもやったというのは、その誰かに任せればいい仕事であって、「自分の仕事」とは言えない。きっと前例を作ることが、価値のある「自分の仕事」なのではないだろうか。神奈川県内科医学会らしい活動を継続していきたいと願っている。
 本医学会の節目の年、私たちはもう一度、この学術団体の原点ともいうべき使命を再確認し、肝に命じて行動すべきかもしれない。

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