講演2「環境因性神経疾患(公害病・医原病)~医師による気づきの重要性~」
鈴鹿医療科学大学大学院医療科学研究科長 看護学部看護学科教授 葛原茂樹先生
神経内科の診療においては、検査データよりも患者を直接見たり触ったりすることが役立つことが多い。本当は公害病であったり、医原病であったりした様々な神経疾患の正しい原因に迫るため医師による気づきがいかに重要かということについてお話ししたい。
1950年代後半に熊本県水俣市を中心として視野狭窄や小脳失調をきたし、痙攣を起こして死に至る奇病が多発し、やがて水俣にとどまらず有明海沿岸全体に拡大する傾向が見られた。1940年に英国で報告されたメチル水銀への直接暴露によるハンター・ラッセル症候群によく似た症状だったが、原因物質の特定に時間がかかり、最終的にチッソ水俣工場の排水に起因する食物連鎖によるメチル水銀中毒と判明したが、工場責任者による隠ぺい工作や学者間での意見の対立などもあり、当時の厚生省による事実の認定が遅れ被害が拡大した。
1955年頃、激しい下痢と腹痛、下肢の痺れ痛み麻痺、視力障害から失明に至り、痙攣を起こして死亡する疾患が報告され、亜急性脊髄視神経症(subacute myelo-optico-neuropathy:SMON)と命名された。1967~1968年頃全国で多発し、ウイルス感染症説がマスコミに流れたためパニックとなり、患者は不当な差別と偏見にさらされ、一家心中まで起きる事態となった。SMON患者は緑の舌、緑の尿、緑の便が特徴的で、これは整腸薬キノホルムと鉄のキレートと判明した。キノホルムの添付文書には「腸管から吸収されない」と書かれており、当時多くの外科医が手術前後の腸管内の殺菌のため大量のキノホルムを投与していた。大規模なカルテの調査により、キノホルムを多く投与された患者にSMONが発症していること、また実はキノホルムは腸管からよく吸収されることも分かり、SMONの原因はキノホルムによる神経障害であることが確定し、1970年にキノホルムの販売中止後SMONの発症は無くなった。この事件から薬剤誘発性の疾患は疫病と見分けがつきにくいという教訓を得るとともに、「健康被害救済制度」と「難病対策と研究班」の2つの制度が生まれるきっかけとなった。
南九州、四国南部、沖縄と北海道、東北に見られるAdult T-cell leukemia(ATL)の原因ウイルスは、縄文人が保有していたと考えられているHuman T-lymphotropic virus(HTLV-1)である。ATLの分布と重なるように特徴的な神経疾患がみられる。慢性の脊髄の炎症により、進行性の歩行障害や膀胱直腸障害をきたす。その患者の髄液中にATL細胞が観察されたことより、ATLと共通の病原体HTLV-1が原因と考えられHTLV-1 associated myelopathy(HAM)と命名された。このウイルスは母乳を介して乳幼児期に感染し中年期になってから発症することが分かった。
1980年代に高齢者に対して多くの「脳循環代謝改善薬」が発売され、多くの患者に投与された一時期があった。脳の代謝を活発にする薬理作用を持つとされ、脳梗塞や脳出血に伴う意欲低下、情緒障害を適応としていた。当時は痴呆に対する有効な治療法がないことから医療現場で広く使われていたが、一部の患者に肝臓の急性脂肪変性(Reye様症候群)を発症し、消化器症状から昏睡状態になり死亡する例がみられた。また「脳循環代謝改善薬」の多くは効果がないことがわかり、承認を取り消された。また1987年に、急速に進行する無動と筋強剛により数か月で寝たきり状態となる症例を経験した。片頭痛発作の予防薬であるカルシウム拮抗薬塩酸フルナリジンによる薬剤性パーキンソン病と判明した。
中心静脈栄養を行う際にも、欠乏症や過剰症に注意する必要がある。ビタミンB1欠乏による部分的眼球運動障害、運動失調、記憶障害を伴うウェルニッケ脳症、マンガンイオン過剰によるパーキンソン様症状、易怒性、幻覚を伴うマンガン脳症、セレン欠乏症による心筋壊死、軟骨の変性、甲状腺機能低下とセレン過剰症による胃腸障害、末梢神経障害、爪の変形や脱毛などである。
最近次々と発売される新薬や先進医療の副作用にも注意する必要がある。医薬品医療機器総合機構(Pharmaceuticals and Medical Devices Agency:PMDA)の報告書によく目を通しておくことである。
気づきの能力を高めるためには、患者をよく見て、よく診て、数多くみる。そして何か変だと思ったら、情報を集める。同業者からの情報や文献により不足を補うようにすれば、知識が無ければ見逃すことも、しっかり気づくことができるようになるであろう。
2017年5月29日月曜日
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